60歳で会社を辞めました。 再雇用は選びませんでした。
正直、周りには心配されましたね。 『もったいない』とか『大丈夫か?』って。
まぁ、自分でも不安はありました。 将来のこと、お金のこと、人とのつながりも、全部です。
でもね、今ならこう言えます。
『お金より、もっと大事なものが見つかった』って。
意外と、すぐそばにあったんです。
今日はその話を、ちょっと聞いてもらえたら嬉しいです。」
目次
①:定年後の本音(疎外感と比較)
「定年して最初の頃は、平日の昼間にスーツ姿の人とすれ違うだけで、なんとなく肩身が狭い気がしました。 『あぁ、自分って、もう社会の外なんだなぁ』って思っちゃってね。
お金の心配もずっとありましたよ。
家の修繕も先送り。 車はエアコンが効かないけど我慢して乗ってたし、 旅行に誘われても、理由つけて断ったりしてました。
特にこたえたのは、会社の同期会。 再雇用された人や、出世した元役員の話を聞いてると、 『自分、なんでこうなったんだろう…』って、つい思っちゃう。
頭では分かってるんですよ。 人と比べても意味ないって。
でも、心はそう簡単には切り替えられないもんですね。 嫉妬みたいな気持ち、たまに顔を出します。」
②:「足るを知る」と「ちょっとひねくれた楽しみ方」
そんな時、自分に問いかけるようにしてるんです。 『本当に羨ましいのは、ハワイ旅行そのものか?』って。
答えは、たぶん違うんですよね。
気ままな気持ちとか、余裕ある雰囲気に憧れてただけなんだと思います。
そこから、『足るを知る』ってことを意識するようになりました。
例えば、少し欠けたお気に入りのコーヒーカップで飲む朝の一杯。 それだけで、なんか満たされるんですよ。
高い物じゃなくても、自分にとって落ち着けるものって、意外と身近にあるんですよね。
あとね、私にはちょっとした趣味があって。 それが、『一円も使わずに一日楽しむチャレンジ』です(笑)
午前は図書館で好きな本を読んで、 午後は神社を歩いて、野草をスマホで撮ったり。 パン屋さんを巡って、公園でのんびり食べたりもします。
これがね、なんだかんだで充実してるんです。
ちょっと“へそ曲がり”な楽しみ方かもしれないけど、 誰にも文句言われない、自分だけの時間って、最高なんですよ。」
③:「時間の居場所」
こういう日々を重ねるうちに、ふと気づいたんです。
『居場所』って、何もコミュニティとかサークルだけじゃないんだなって。
現役の頃は、『会社』っていう場所が、自分の居場所で、 その代わりに時間を差し出してた。
でも今は、その時間がたっぷりあるんですよ。
自分だけの時間って、言ってみれば“何も建ってない広い土地”みたいなもんで。 そこに、どんな居場所をつくるかは、全部自分次第なんですよね。
好きな趣味に時間を使うのもいいし、 ちょっと休むのもいいし、 何もせず、ただぼーっとするのも、案外いいもんです。
大事なのは、誰かに見せるためじゃなくて、 『自分がほっとできる場所』になってるかどうか。
それを、私は“時間の居場所”って呼んでます。
エンディング(結論)
じゃあ、その時間の土地に、どんな居場所を建てるか?
それって、すごい豪邸である必要はまったくないんです。 誰かに見せびらかすものでもないし。
たとえば、友達と気軽に話す時間だったり、 庭いじりをしてる時間だったり、 喫茶店のすみっこで静かに過ごす時間だったり。
そういう、ちょっとした時間の中にこそ、 『自分だけの家』みたいなものがあると思うんです。
私にとっては、それが“時間の居場所”。
会社を卒業した今、 そういう居場所をいくつでも作れるって、 実はすごく贅沢なことなんじゃないかなって思ってます。
人生100年時代。 この、何にも縛られない時間のなかで、 自分だけの場所を作って、時々リフォームしながら生きていく。
それが、定年後の生き方の一つのかたちじゃないかと思ってます。
ここまで聞いてくれて、ありがとう。
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